昔の話:その2

何か普通に寝るかーと思ってたけど、
前回の記事で、「土曜か日曜に昔の話書く」って書いてたの思い出したんで作成。
相変わらず文章が纏まっとりませんがあしからず。


さて2年目だけど最初にあった変化は新しい顧問の先生が来ました。
前の学校でマイコンカー作成しててかつ一般の部で参加したりと経験と知識が豊富な変わった先生です。
(とりあえずS先生と表記)
でもって2年になったので、新しく1年が加入。
その結果コンピュータ部のメンバー構成は下のような感じ。

 部長:三年の先輩 (三年生1人だったから強制で確定)
 副部長:2年の友人 (確かそんなだった気がする…バイトで出席日数は少なめ)
 2年:1人(俺) (他5名くらい幽霊部員)
 1年:5人 (最終的に2人抜ける)

副部長に関してはよく覚えてないっす(´・ω・`)
確か「去年完走したからお前が副部長でいいじゃんかー><」とか言ってた気がするから多分副部長はアイツだった気がする。まぁ居ない時が結構多くて、代わりに俺が先輩と一緒に後輩に教えたり色々活動してたもんだから副部長(代理)みたいなポジションだった気がしないでもない…。


新メンバーが加わって最初にやった事はマシンの設計もとい、車体の作成をする事に。
何でもキットのままだと速度さっぱり出ないから、色々と自作して作ろうとの事。
で色々とうちの部は技術力がショボイものだから、まずは作成になれる事を踏まえて
前の学校でS先生が学生と一緒に作ってたマシンを基に量産するという方針になった。
3年生と2年生が1人1台作成。1年生は2人と3人に分かれて作業することに。
で量産型を作る事になったんだが、どういうわけか3人のグループは6輪を作ってた。
1年生は確か遊びも兼ねて色々やってみようという話になって6輪とか作ってみないかって話が出てたのが理由だったと思うけど、きっかけについては良く覚えていない。
ただこの6輪がカオスなマシンになった事だけは良く覚えている…


そして一学期の終わりが近づいてきた時、先生がある事を提案した。

S先生「そうだお前達、コース欲しくないか」
俺ら「コースですか?欲しいですねぇ」
S先生「というわけでだ、夏休みはコースを作ろう」
俺ら「おお………え?作るの?マジで(゚д゚)」

実際にこういう会話があった訳ではないが、夏休みは先生の発案によりコースを作る事になった。
クーラー使えない作業部屋で、木材に線を入れてカット、更にその上から公式に近いシート?(良くわからない…)を切り取って貼り付ける作業を半月以上かけて行う事に…。
『シートの上には水等をかけない様に気をつけてください』
見たいな注意書きが箱に書いてあったが、汗がボロボロと作業してるシートに落ちるのだった。
この時作成したコースは、組み合わせて大体25m位の長さになるコースだった気がする。
公式のコースは金具を使って止められているのだが、そんな物は無いのでテープを使って固定。
テープは固定する際にセンサの誤差が出ないようシートの余りを利用。
実際に組み立てたのは場所の関係上10月位になったので、作った達成感はあんまり無かったw
夏休みの後半は基盤の作成を同じ作業部屋で行う事に。
狭い、日が差してくる作業場でハンダゴテが3つ4つ使われている様は地獄…。


夏が終わったらあとは11月くらいに行われる大会に向けて作成を続行。
9月後半から10月前半くらいにはマシンが出来上がった気がする。
でもってコースを使ってテスト走行を開始。
率直に感想を言うと、何か去年と比べて色々パワーアップしてた。

 ・速度が速くなった
 ・ぶっ壊れる割合が増えた
 ・怪我が増えた

大体リスト上げるとこんな感じ。
速度を強化した事によって、走り出したマシンを止めるのに一苦労するようになった(´・ω・`)
またコースアウトしてもガシガシ動きまくるもんだから壁にぶつかったりしてよく壊れる。
基本的に良く壊れるのはデリケートなサーボのギア
何故か俺のは壊れなかったが、先輩と友人のサーボのギアは二人合わせて3〜4回くらい壊れた。
そして怪我率の上昇は速度+車体をアルミ板で作った事が主な原因。
鑢で削って怪我しないようにある程度は考えて作ったものの、ガスガス当たると皮が切れて痛い。
そんな前年度では考えもしなかったテスト走行の中、いっそう際立つマシンが一つ。
6輪である…

とにかく車体がでかい。
基本的に車体は低い方がバランスが良いのに、高さが12〜3cmはあった。
ノイズ対策を行っている癖にノイズを拾い捲りという謎仕様。
(まぁノイズに関しては色々と仕方ない面もある)
車体の底を持てば、向き出しとなったギアボックスのギアに指を削られてしまう
(めっさ痛い。代わりに止めようと思って掴んだら酷い目にあった…)

何とも素敵な6輪が出来上がっていた。正直謎である。
市販のギアボックスゆえに小型化できず、サイズ的に大きくなるのは何となくわからんでもないが、何故あそこまででかくなったのか…
止めは基盤のショート。
金属系のパーツが増えた分注意しないといけない事だが、基盤が接触して漏電したっぽい…。
この事が判明したのは大会2週間くらい前を控えた、遠征の朝かな?
行く前にテストしようと後輩がスイッチを入れたところ、回路から煙が出だしたのだ。
結局基盤が逝ってしまわれたので色々と作り直し。
6輪は遠征先で修理を行う羽目になった。


そんなこんなで、月日もたち。
妙に速くなったマシンの調整にワタワタして迎えた九州大会。
結果はこうなった。

 ・先輩→全国大会出場決定
 ・2年生→コースアウト
 ・1年生→コースアウト(6輪は車検に一回落ちた)

またコースアウトだったよ残念だったね(´・ω・`)
前日は最後完走してたのに…orz
6輪が車検に落ちた原因は前輪部とセンサーを繋げる金属板が底に当たってるからでした。
金属板を曲げてセンサーを低い位置に保とうとしたのが仇になったらしい(他にも色々間違ってるが…)
3人のうちの1人が「なら曲げればいいじゃん」と金属板を曲げだしたのにはちょっと焦った。
確かに車検は通るのだが、センサーが上を向いてコースが読み取れない…。
「ちょっ!このバカ!」とか1人本気で焦ってたのはいい思い出。
結局センサーが上手く戻らず、車検は通るもののスタートと同時に右に左に前輪がブレてコースアウトするのだった。


………うん色々あったなぁ。
てかなげーよ。こんな事なら更に分割して書けばよかった…orz
まぁ2年目は新しい先生に新しいメンバーそして新しい技術と、色々と革新というか変化が起った
年だったと思う。特にS先生来なかったら、一年の時とあんまり変わんなかったんじゃないかな?
そして培った技術の集大成として3年目に突入するんだけど、短くできるかなぁ。
これでも色々端折ったんだけどなぁ。S先生とか後輩にまつわるエピソードとか。
まぁその辺はおまけ用のネタが出来たーという事にしとこう…。
後は…うん、いつか分割して修正しよう…コレは酷いorz。